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| 物語を語ることをモノローグと言います。前置きはプロローグ、終わりの言葉はエピローグ。石にまつわる様々な話題を集めてみたい、石に込めたいろいろな思い、祖先や子孫への想い、亡き肉親への想い、そして「いのち」にかかわる話を語っていきたい、そんなコーナーをつくってみました。石が、ストーンが語る。「ストローグ(Stologue):石語り」と名づけてみました。ご覧いただけましたら、ご感想などをお寄せいただければと思います。 |
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Stologue091
2003.3.17
「共生共死の人生観」 |
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「共生共死の人生観」 山折哲雄
そして最後の「鳥と一緒に帰りましょう」がくる。カラスは、今日では新幹線の線路に悪さをし、神宮の森まで荒らすいたずら者であるが、かつては子どもたちの空飛ぶよきパ−トナ−であった。カ−カ−と鳴く声までが落日の光景と重なる。
鳥と一緒に帰ろうという気分になるのは、鳥のような小さなものたちとともに生きているという実感があったからこそであろう。生きものたちとの共生感覚である。今でこそこの日本列島は共生、共生の大合唱でわきかえっている。われわれも共生という言葉に飛びついて我を忘れている。しかしそんなことはすでに「夕焼小焼」のなかでうたわれていたのである。そして大切なのは、その共生感覚には、やがて人間は涅槃を迎えるという共死の無常観までが脈打っていたということだ。共生共死の人生観である。それが今日この日本列島では、ただ生きたい、ただ生き残りたい、というエゴイスティックな共生の合唱だけしかきこえてはこないのである。
山折哲雄「こころの作法」 2002年 中央公論新社 P.17
「共生共死」、なかなか辛口の厳しい指摘だと思います。村田喜代子の「蕨野行」という小説が映画になっています。その中で、野に捨てられた老婆が仲間の老人たちとともに死んでいくシーンがあります。その時主人公は、残していく嫁に「来年の蕨の綿毛は、この婆の白髪だと思ってくれ」と言います。婆はこの地にいつまでもいつまでもいるのだよ、と言っているようです。煩悩を断ち切って、悟りの世界へ、輪廻の苦しみを乗り越える、それも一つの思想だと思います。しかし、いつまでもいつまでも、この地に共に生き、そしてこの地で共に死んでいくんだ、というのも見事な生き様だと思うのです。むしろその方が自然のような気がします。
chitr |
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